八幡焼窯元について

280年の歴史に育まれた
色鮮やかな緑色の青釉を大切にしています
使うほど落ち着きを増す器をお楽しみください

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出雲の国広瀬町は、戦国時代、山陰山陽十一ヶ国を統治した
武将尼子氏の居城(月山富田城)のあった山あいの郷。
山陰の鎌倉とも謳われた、広瀬町を流れる富田川沿いの鎮守のもりかげで煙をあげているのが
八幡焼窯元です。

当窯は亨保八年(1723)富田八幡宮の神官竹矢豊前と藩士熊谷由武によって開窯され萩からも
陶工を招き日用雑器を焼くようになりました。
その後松平広瀬藩の藩営になった一時期もあったが世は明治に移り民営となり
泰家(灰吹家)がこれを受け継ぎ伝統をまもりながら今に至っております

日々の暮らしにご愛用を頂ければこの上もない喜びでございます

 

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<職人紹介>

八幡焼5代目 安食美幸

プロフィール 1992年から父(4代目秦良次)のもとで家業の八幡焼の仕事を始める。
個展、グループ展などで作品を発表しながら、日々、作陶し続けています。

メッセージ
1723年の創業から290年。
作り手の窯元と使い手の人びとが大切にしてきた八幡焼の青釉を施した器を、いま、これからの暮らしのなかで、もっと愛してもらえるものにして行きたいと思っています。